まほらの天秤 第13話


ちりん、ちりん。

今朝耳にした、あの涼やかな鈴の音が耳から離れない。
ふとした時に聞こえてくる気がして、つい辺りを見回してしまう。

「どうしたのですかスザク?」
「え?あ、いえ。何でもありませんユーフェミア様」

スザクは慌てて首を振った。
聞こえるはずがない。
彼はこの屋敷から離れた場所に居るのだから。
これは、鈴の音が聞きたいと願う自分の幻聴だ。
部屋では勉強がはかどらないと、広い庭に設置されていた四阿にいるせいだろうか。爽やかな風が流れてくると、鈴の音が聞こえる気がしてしまう。
ふと空を見上げ、雲ひとつない晴天だからかとも思う。
そう、まるで数百年前のあの日のような蒼天だからかもしれない。
彼を殺したあの日と同じ空。
だから余計に彼の事を思い出してしまうのだろう。
まだ人であった頃親友だった彼と、森のなかで隠れ暮らす彼のことを。

「何か心配ごとでもあるのですか?」

身が入っていないスザクが気になるのだろう、ユーフェミアは心配そうな顔で言った。
ああ、彼女にそんな顔をさせたくはないのに。
心配だった彼の無事は確認できたのだから、今後の事はまた後で考えよう。
今は目の前の彼女に笑ってもらわなければ。

「いえ、今日はとても気持ちのいい天気だなと、思っていただけですよ」

笑顔でそう言えば、人を疑う事を知らない無垢な彼女は、そうですねと明るい笑顔で頷いた。 やはり彼女には笑顔が似合う。眩しいほどのその笑みに、知らず目を細めて見つめていると、彼女は頬を染め俯いた。

「所でユーフェミア様、私の事よりもご自身の勉強の方はどうなのですか?」

そう尋ねると、彼女は「あ、え~と、それが・・・」と、困ったように笑った。
その反応で、碌に進んでいない事がよく解った。

「終わったのですか?」

意地悪く尋ねると、彼女は再び頬を染め「・・・まだです」と呟いた。

「ならば、そちらに集中を。それが終わるまで、お茶は用意しないようにとコーネリア様から命じられております」
「え?そうなんですか?」

そう言えば、ここには飲み物が用意されていないと、ユーフェミアは今更ながら気がついた。

「今日はユーフェミア様のお好きな、桃のタルトだと伺っていますが」
「え!?い、急いで終わらせます!」

食べ物につられたらしく、彼女は今までとは打って変わって、真剣なまなざしで資料にかじりついた。
今後、為政者としての道を歩むのであれば、勉強する事はいくらでもある。
この箱庭に守られている間はいい。
だが、一度世に出れば、優しいだけの世界では無いという事を嫌が負うにも知ることとなる。冷たく苦しい世界でしっかり立っている為には、経験はもちろん大事だが、指針となる知識が必要になるのだ。嘗てゼロとして世界に立った身としては、もっと沢山勉強しておけばよかったと何度後悔したか知れない。
だから余計に、彼女にはこうして時間のある間に、いろいろな知識を得てほしかった。必要であれば、自分の持つ知識と経験を彼女に伝えたい。
嘗てのユフィのように、そしてユフィとルルーシュの意思を継いだナナリーのように、優しい為政者となってほしい。
貴女なら、きっと優しい世界を創る事が出来るから。
スザクは穏やかな眼差しで、勉強に集中するユーフェミアを見つめていた。



ああ、もう。
そんな目で見ないでください!
ユーフェミアは資料に目を落としながら、内心動揺していた。心臓がドキドキと煩いほど鳴っているて、ああ、この音が聞こえていたらどうしようと、そんなありもしない心配までしてしまうぐらい動揺していた。
あまりにも穏やかで優しい笑みを向けてくるものだから、正面からまともに見ることもできないし、口に出す事も出来ない。顔は熱く火照り、おそらく端から見てわかるほど赤く染まっている。
だから、勉強など手につかず、目の前の資料を見ているふりをして顔を俯けるのが精いっぱいだった。
なにより、折角美味しい桃のタルトが用意されているというのに、スザクにまで食べるのを我慢させてしまっているのだ。
急いで片付けなければ。
そう思うのだが、目の前の存在に意識が行ってしまい、全然頭に入ってこない。
思考は停止しているというのに、心臓ばかりが早鐘を打って主張してくる。

ああ、もう。
人の気も知らないで。

歴史書に残された、慈愛の姫と、その騎士の写真。
私はその騎士に恋をしていた。
優しい笑顔で慈愛の姫に笑いかける騎士。
彼は私の理想となり、童話に出てくる王子様のイメージは常に彼だった。
私がブリタニアの奇跡による慈愛の姫の生まれ変わりだというならば、彼の生まれ変わりといつか再会を果たすのだと、信じていた。
そして今、チラリと視線を上げれば、目の前には、幼いころから恋焦がれていた人の生まれ変わりがいるのだ。
私の想像そのままに、優しく笑いかけてくれるスザクが。
そんな状況で勉強なんて。
ああ、でも、彼が居ないと、気になって探してしまう。
彼がいてもいなくても、勉強は手につかなかった。
こんなことでは主失格。
スザクに愛想をつかれてしまう。
それなのに!

「ユーフェミア、随分と熱心に勉強をしているようだな」

聞こえてきた声に顔を上げると、そこには嬉しそうに笑うコーネリアがいた。

「成程、枢木が傍に居れば、集中力が上がるという話は本当のようだな」

からかうように言う言葉に、私は自分でもわかるほど顔を赤くした。

「お姉さま!」

スザクは何の話だろうという様に、キョトンとした顔で私とコーネリアを見比べる。

「いや、すまないすまない。そう怒るなユーフェミア。勉強も根をつめては身に入らないだろう、一度休憩をとったらどうだ?」

苦笑しながら言う姉の言葉に、私は飛び付いた。

「そうですね、お茶にしましょう!」
「ですが、ユーフェミア様」

殆ど進んでいない事を知っているスザクが、咎めるように言ったが、これ以上資料とにらめっこしても進むとは思えない。
ならば気分転換をするほうがいい。

「一度休憩してから、勉強の続きをします。駄目ですか、スザク?」

私がそう言うと、スザクは「困った人だ」と言った後苦笑した。

「では、お茶にいたしましょう」

穏やかな口調で同意を示してくれた彼に、私は笑顔で頷いた。



今更ですが、歴史書にはユーフェミアがユフィと愛称で呼ばれていたことまでは書かれていないため、全員がユーフェミア呼びです。

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